ブログを再開したいという近況報告。
久しぶり。の挨拶
久しぶりに文字を書きたくなったので、はてなブログのアプリを起動した。本当にお久しぶりでございます、この画面。
最後の記事はこれ。
自分の殻を破りたい! 久々の本気ラダーの楽しさ - 酒場のオヤジを越えるには
2020年7月。うん、かなり前だね。
テンポデーモンハンターを回しすぎて力尽きたのだろう。デッキ紹介する気がない。
このブログは僕がhearthstoneを始めた頃に立ち上げたものだ。
ランク5に到達するのがやっとの自分でもプレイが上達する何かしら有益な情報を得られるのではないかと(優しく教えてくださる神が現れてくれるのではないかと)
海に手紙入りのボトルを投げるくらいのつもりで自分の考えを書き散らしたのが始まりである。
とっ散らかった文章で、自分がレジェンド到達するくらい気に入ったデッキについての思考をまとめたものを文字に起こしていたのだが
最近はそれも億劫になって、レジェンドに到達したデッキがあっても、いよいよ記事にすることをサボるようになってしまった。
こういうときはこう、とか
このデッキならではのこんなスーパープレイが!とか
お気に入りデッキのお気に入りポイントを紹介するブログを書いてこのデッキの魅力を伝えよう!という興奮というか、物書き欲の波が上がってこなくなったのだ。
いやめんどくさいんですよ、文字にするのって。
書いてるうちに違うことを思いつく。
そうなると要らない文章を消したり、書き直す必要が生じる。
そうしたら他の分の辻褄が合わなくなる。
なのでまた書き直す。
スマホで作業すると(いやPCでもだが)文の全体を見返すのが困難なため、出るんですよ。ミスが。
公開したあと自分の文章を読み返すと消し損ね、書き損ね、無駄、説明不足が出るわ出るわ。そうした恥に気づくたび筆者は
これは世に出してはならないものだ…
と密かに一人戦慄するのである。
これ読んだ人は、うへえ、めちゃくちゃな文章だなぁ。書いたやつまあまあ頭悪いんだろうなあ、と思っただろうなあ。という具合である。
実は僕は間違いに気づいたら記事に加筆や修正を加えている。これ以上酷い文章を誰かに見られないように。しかし少なくとも、もう見てしまった読者が今更「今読み返したら間違いに気付いて書き直してるかもしれない。もう一度読み返してみよう!」とはなる可能性は、非常に低い。
これはさながら道端をズボンのチャック開けっ放しで歩いているようなものである。
さり気なくチャックを上げ直しまた歩いてきた道を引き返したとて、自身の醜態を見た人たちはそこにはいないし。
よしんばその人たちに自分がチャックを上げたところを無事見せられたとして、自分のだらしなさをなかったことになどできないのだ。
見た人たちはこう思う。「あいつチャック閉め忘れに気づいたな。しかも気づいたことをさり気なく、しかしわざわざ教えるために、わざわざ来た道を引き返したのではないか?」
それは余計恥ずかしいことだ。恥の上塗りである。
閑話休題、
まあ文章上のミスは高校の時に書いてた小説にせよなんにせよ起こる素人文字書きが自分の文章を読み返す際に見られる現象である。
もう腹を括るしかない。書いて、失敗し、書き直し、慣れていくしかない。自分は文字の書き方は知らないが、書かないことには上達しないというだけは知っている。
文章を書くことはめんどくさいと思いながらも長い期間休止していても、またここに戻ってきてしまうのは自分のが思考や感覚、ふと思いついたことを頭の中で整理することに面白みを感じる人間だから、ということに他ならないのだ。
しかして同僚や家族、友人やパートナーに対し、いきなり自分が考えていることについてベラベラと、語り出し、「…というわけなんだが、これについて君はどう思う?」というのをやるのも自分には憚られた。
大抵の場合、人は他人に興味がない、と思っている。少なくとも自分は他人への興味が大きいか小さいかで分類するなら小さい側であると思っている。なのに自分の考えに対してのみ、赤の他人であってもこれには興味津々で付き合ってくれるものだと断じているのはアンフェアだというものだ。
だからブログを書く。
Twitterで一度だけ告知する。
ざっと目を通し、興味を持ってくれた御仁がもしも現れたりなんかしたときには
そっとリプライでも投げてくれたりコメントを残してくれたりしてくれればありがたいなと思いながらここに綴るくらいが自分が思考を垂れ流すことを許せる範疇であるように思う。
僕にとって、文字を書くのは呼吸なのかもしれない。肺に二酸化炭素が溜まったら吐き出して新しい空気を吸うように。
思考が溜まったら吐き出すのだ。
特殊な呼吸だなあ。たいていの人類は肺呼吸なのに、文字書きだけはエラ呼吸だか皮膚呼吸だかで生活しているのか。
特殊といっても特殊技能とかそういうわけではない。いやそのように称される人物もいることは確かだが。
大多数の人類は自分がいきなり自分の考えを話し出したりしても、誰も興味を持ってくれないだろう、あるいは自分が満足するような回答を得られないだろう。と余計な心配をしない。
口で喋るのを放棄しない。ましてや口の代わりにキーボードで、いるともいないともしれない画面の向こうの顔も知らない誰かにむけて朗々と語ったりはしない。
僕の場合(と前置きしておく。世の物書きに失礼のないように)どちらかといえばうまく呼吸できないので代わりの医療機器を体の外部に取り付けているような状態、と例えたほうがより正確に思える。
実はhearthstoneというテーマから見てもブログとして文字に起こすのが面倒くさくなる原因が3つほどあって。
1つには気にいったデッキがないことだ。
今のhearthstoneは非常にバランスがいい。
なのでどのデッキを使っても何かに有利だし、何かに不利。勝てる時は勝てるが勝てない時は勝てない。アグロローグが隆盛すると、その回答としてバーンメイジが流行るなどもする。
その度に「なんかいいのないかなー」って探す。一つのデッキに触る時間が減る。
あとナーフが多い。そのたび環境が変わる。そうするとブログに書いたことがすぐ古い情報になる。ダークムーンフェアで言えば途中ミニセットが追加されナーフではないがまた環境が変わり、要するにブログの鮮度、賞味期限が非常に短くなったと感じるようにるなった。
せっかく書き上げたとして、書こうと思ってから書き上げるまでにかなりの時間をかけたとする。
君は想像したことがあるか。
仕事終わりの疲れた頭で数時間、
休日を一日使って頭がクラクラするまでラダーして月末、やっとの思いでレジェンドに到達した後。
充血した目でパソコンに向かい、
あーでもないこーでもないとうんうん唸りながらようやくブログを書き上げました。
その完成した文章の。文末に。
まあ、来月新環境くるんですけどね。
を追加する虚しさを。文章が筆者にとっての子どもであるとするならば、これは死産と言っても過言ではなかろう。
2つ目は、hearthstoneを触る時間が短くなったことだ。
今は月のはじめにレジェンドに到達して、あとは放っておけば来月も負け越してさえレジェンドになれる権利を得られるのだから、大変な思いをしてレジェンドランクに到達して、「見てみて!やったよ!僕レジェンドになったよ!」というような話を、わざわざ文字にしようとするほど高揚しなくなったということもある。この辺は1の理由とリンクする。
3つ目は、hearthstoneが複雑化していると感じ始めたことだ。
いや、昔から複雑で、ようやく自分がその奥深さを感じることができるようになった、ということかもしれない。
比較的簡単だとされるアグロデッキでさえただ殴るだけではなくなってしまった。初手のスパイミストレスを3ターン目のグレイハートの賢者を出すまで待機させないと、あとあとドローが回らず打点が尽きる。ああ、なんという急がば回れ。しかし待機させ続けるとゼフリスから旋風剣とかが飛んでくる。
アクセルか、ブレーキか。この2つしかないのに相手とのダメージレースに勝たなきゃならない。
昔のアグロデッキならそんなことなかったのか。いや、自分がそんなことすら意識できない青二歳のまま得意げに記事に起こしたのか。
あと、多彩な戦術を持つヒーローが増えた。
対ハイランダーメイジはなんとか。あ、でもバーンメイジもいるから気をつけて。
ハイランダードルイドならこう、あでもトークンドルイドだったらこう。
コントロールウォーロックならこうだけどzooウォーロックだと…
昔は9ヒーロー全部が活躍してるなんてことはなかったし、そもそも今は全部で10ヒーローもいるし、
その上それぞれのヒーローが2種類の戦術を持っていて、顔は同じでもその2種類の方向性が全く違っていたりするのだ。
そうなると9ヒーローでもめちゃくちゃ時間がかかる各マッチアップについての説明が、全デッキについてしていくとなったら大変なことになる。1日1デッキとのマッチアップを書いても全ヒーロー書き上げるまで10日かかる。そんなことをしていたらさすがに書き上げるより先に環境が変わってしまう恐れが生じてくる。
一個人、素人がブログを書き終えるまで環境を変えないで欲しい、など見当違いのワガママをいうつもりなど毛頭ない。
最近はblizzardもコミュニティも、hearthstoneのマッチアップ環境が目まぐるしく変化することを善としており、ナーフやカードの追加によってこまめに環境を変えようとしている工夫が見て取れる。僕自身もどちらかといえばこの考えには賛成である。
目まぐるしく変わる環境に対して、ブログ書きはどうしたらいいのか、回答は分かり切っている。飛躍的にこのゲームの習熟度を上げ、文章力と執筆速度を上げ、こまめに更新をすることだ。それしかない。
しかし。
どうしても多すぎる。
最近のhearthstoneは書くことが多すぎる
zooの1ターン目、というかマリガンからしてそうだ。
初手「ツアーガイド」から「闇の睨視者」がベストムーブなのは分かっているが初手1/1は最弱で、ミラーマッチなどでも不安が残るがドローしなければそのうち手札が尽きる。
ドローと言えば「グルダンの手」をキープしてこれを手札から捨てることができるようにプランニングしようと思いきや「肉の巨人」を引いてしまい目算誤る。「ナイトシェードの刀鍛冶」でポイされる巨人。ハンドに残る6マナ3ドローとかいうzooには扱いきれない紙切れ。
マリガン〜1ターン目に何を出すか、各マッチとその手札状況についてパターン別に解説していくとする。
初手ツアーガイド。でも闇の睨視者はない。
次のターン引くことに賭けるか。でも手札は事故ってて次もヒロパ押しそう。でもそんだけ事故ってるならトップに賭けるしか…
なるほど、自分の文章がとっちらかるわけだ。
ちょっと仮の話をしただけでめちゃくちゃ思考がまとまらなくなってしまう。
素人が考えるからこうなるのだろうか。
プロやグラマスが話したら意外に意見が一致してまとまるのかもしれない。
最近、なんとかデッキのプレイガイドですってブログのリンク貼ったツイートが減ったように思えてならない。
バトグラの方はよく見かける。あれこそ(今のところ)環境が頻繁に変わらないことも大きいとにらんでいる。記事の鮮度が長持ちするのだ。それは書いた甲斐がある。バトルグラウンドは特に座学がレートに反映しやすい世界だと聞く。
強いプレイヤーの思考が活字になっていることがとてもありがたがられることだろう。
ほんとは僕が読まないだけで構築、プレイの記事とかあるのかもしれない。そうだとしたら最近減ってきたよねなんて言ってごめんなさい。
ああでも。
最近、星野源とか古市憲寿とかのエッセイを読む機会があり、こう言ったら読みものを読むにつけ、ああやはり自分とは文章を書きたい人種なのだなあ、と再認識した。自分は高校の時から部活で文字書きをやっている。文字は自分の根幹を成す重要な要素であるということは間違いない。
自分は小心者である。
そのため面と向かって自分の考えを誰かに話すことができない。しかしそれでもこういうところに、自分の考えたことをそっと置いておくことがある。
人は秘密を作り、また誰かに知られたい生き物なのです。Facebook創始者の言葉らしいが、そういうことなのか。
倒錯しているなあ。
というわけで、なんか書くことを再開することにした。
何を書くのかは決めてないけど。
プレイガイドはしばらくいいや。またやるかもしれないけど。僕より考えまとめるのが得意でそれを文字に起こすのがうまくてそもそもhearthstone上手い人いくらでもいるんだから。
僕は違う方向に行くよ。
hearthstoneをテーマにブログをやるってことに対して、新しい値打ちや面白さを探しにいきたい。
そんなことを思っている。